ZEN-Aドラム教室 ドラム一筋 津嘉山善栄ドンバー稼業

ドラム叩いて幾十年 過去の方がながーい歳になり ドラム始めたころの事から つぶやいてみようかなー・・・・・ 或る時仕事何してる?と聞かれバンドしてると言ったら外に良い仕事ないのと云われた・・・

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てぃーだブログ
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ドラムの事

言い訳

 管理画面開かなくなって久しい。
久々に開く、TUKAZENNさん178日振りのログインありがとうございますと向かえられ 超ビックリ 独りでつぶやくために始たはずだのに・・・
言い訳なし・・・
 ヤマハ大人の音楽レッスンから独立して早3年、それまで店におんぶされてやってきた発表会、昨年11月に独自で第1回めを友人のバンド仲間の協力のもと無事おえることができた、関係各位皆々に唯ただ感謝。

 第2回を迎えるにあたり工夫せねばとおもいつつ、日々がゆっくり進んでほしいと思う今日この頃である。

高校時代

回想 工高時代3

 期待に胸弾んだ初の実習、なんと文鎮の製作 電気科なのに何で? 電気と関係があるのかとゆう疑問もあったが聞く勇気もなく製作に取り掛かる。
 15mm径の鉄筋から200mmの長さに切り落とした丸棒を、ヤスリで片面10mmの4角棒なるまで削るのである。週3時間の実習で3週目当たりで削り終えたような記憶がある。
 完全な手作業で削りとうして気の遠くなるような作業をつづける・・・・ やれば出来上がるものだとつくずく思ったものだ。
切削を乗り切ればあとはわけない、つまみの穴を開けタップ・ダイスで5mmのネジを切り、塗装して完成に至ったのであるが何故、文鎮製作だったのか未だ勝手解からずじまいである。
 電子科の生徒もそれをさせられたのかなー?
今にしてみれば聞いてみたい思い出でもある。

ジャズライブ

今日この頃4

自己の管理画面のタブが消えて久しい、ウイルスの仕業か? 

とにかくこの頃のオイラのパソコン絶不調でなかなか起動してくれない、故障ではないのだが BOOT画面を出したり手探りでいろいろいじくると

起動してくれる、それもまた楽しいものであるのだが・・・

 記事投稿もままならず幾日も過ぎてしまった。

とまりんフェスタも終えていちだんらくした後日  陶芸家の相馬和正 私邸で屋上ライブ 途中から降りだした雨で一階へ移動するはめに




 久々にSAX奏者の千葉チャン(千葉利幸)  EG ユーゴ(佐藤ユーゴー)  Bass ニシカワ(西川勲)の面々とスリーセッットをこなす。

トマリンでのメンバーとのバトルも楽しかっのだが ジャズの醍醐味といおうかソロプレイヤーが変われば同じ楽曲のテーまでも別ものに成

る。   


こうも変わってしまうものかと感つつ探りをいれつつプレイ 色んなメンバーとドラムを叩けるこの上ない幸せを感じつつ、ドラマーとして常に進化

してゆかねばならないと思う今日この頃である。

ジャズライブ

今日この頃3

 
 とまりんフェスタ無事終了

 久々の屋外演奏





野外ライヴは、音量をきにせずソロプレーヤーとのインタープレイ(やりとり)ができるのも楽しみのひとつで、相方のソロを聞きつつ探りつつ

在るときは後方であおり在るときはすぼめ緊張を感じつつ音を投げ出す、うまくいくと実に爽快だ。

シットリ系のバラード等は必要以上なにもしない、そのギャップが自己満足の世界ではあるが実に楽しくもあり、ドラマーなってよかったと思う瞬間

である。  あくまでも私のばあいは・・・・・


 


ジャズライブ

今日この頃2

 過去を振り返るあまり
ドラマーとしての記事を書くまでにはなかなか至らないのでいっきに現在のわたしは

とまりん2016で久々の野外でのジャズ、あいにくの空模様で決行できるか気にかかるが・・・ 

このフェスタに今まで幾度か出演させてもらっているが 第1回の催しにポール石垣オールスターズ(ビッグバンド)で出演したのを想いだす。
 
 スペシャルゲストに ピアノに屋良文雄

 東京から    Vocalグループ イブ (我が県出身のグループで歌唱力抜群の姉妹) 
 
 豪華なライヴになったものである。閉めは打ち上げ花火とのコラボでおおいに盛りあがった。
 
 今では・・屋良・ポール氏お二人とも故人となり懐かしい想い出となっている。

今日この頃1

 
 ZEN-A ドラム教室 発表会11月20日 決定

初の催し 生徒とって有意義なバンど体験になるよう。しんちょうに。
 
 ジャズのスタンダードやベンチャーズ等生徒にとってはバンドへの初の試み楽しいライブになるよう創意工夫せねば

 
 場所 ライブイン寓話

   時間 3時より

 ゲストメンバー
 
  SAX   岩崎文紀
  
  BASS   比嘉達夫
  
  PIANO   屋良朝秋

  E・G    亀山忠明

回想 浪人最後

 
 ラジオ製作没頭するあまり勉強もそっちのけで
臨んだ入試 筆記試験も無事終わり面接試験へ、緊張しながら試問を受ける。

「君は数学の成績が悪いたとえ合格できたとしても苦労すると思うよ、大丈夫か」
 
 「はい頑張ります」

「もしもの場合電気科になると思うがそれでもいいか」

 「はい、それでも頑張ります」

そんな感じでどうにか合格したのだろう?、最初の授業から超難度の数式悩まされ、入りさえすればなんとかなるだろうとゆう
 
 あまかつたことにきずいたのだが、それでもあまい考えは捨てようとはしななかった。

 
 

回想

回想 浪人時代5

 
 私のドラム教室ZEN-Aスタジオも満2年目を迎えるにあたり初の発表会を計画11月に開催予定で過去など振り向いている場合ではないと思う半面

ここまできたら振り向きつつ これからの事も書かねば・・・・。
 
 期待はずれの並三からの出発五級スーパーついに完成 あの 曰くつきのIFTも付けバリコンも2連になり真空管も五つ極めは横行きダイヤル(鳴りもしないうちから)までも付け実に惚れ惚れする形にできあがった。

 例の如く電源入れ耳を澄ます並三と音の出が違う 雑音も少ない、ダイヤルを廻す なんとタイミングよくRBC放送が鮮明に聞こえ悩まされ某局は混ざってない、五球スーパーの威力に超感動 独りでご満悦したものである。

 それからは毎日我が愛しのラジオと過ごす日々 色んな音楽に耳を傾けるようになったのだが、他所で耳にする音楽(楽曲)に我が愛器からは出てない 何故? 悩む日々がつづく。
 
私の音楽との関わりはこの頃からはじまったようだ、ただ単に自分のスピーカーからも他所で聞くような音を出したいただそれだけのために音楽とせっしていたようである。 アレモノモノカラハ デルノニ ワンノモノカラハデナイ かなりショックをうけた。

 そのような思いもあってか沖工高電子科への受験と相成った次第である。

回想

回想 浪人時代4

   高校浪人なんて全く聞こえなくなった昨今だが、恥ずかしながら高校である、二度の失敗は許されないはずなのに頭の中は5級ラジオのことばかり・・・
 
 前回教えられたとおり前もってコイルを購入付属の説明書で回路図や実体配線図、部品等の名称等を把握したつもりでいた。

塾の帰りいつものラジオ店へ駆け込む
  
 「IFT下さい」 

 「そんな物はない」とまたしても一喝 「君はまだ勉強してないみたいだね」言われる始末

 「部品表にIFTとかかれてましたけど」 IFT書いて見せた。
 
 店主さん
 
 呆れた顔ではあったが「これはIFTとゆう五級には欠かせないものだよと教えてくれた。

 ちなみに私はIを1と読み1FTと言ってしまったのだった。

またしても知識のなさをばくろ赤っ恥をかいたのも忘れられない想い出である。

回想

回想 浪人時代3

 
 昨日は朝方までかけて浪人時代3を書き上げたのだが、いざ投稿 なんと削除してしまった。私のチョンボぐせこれからもついてまわろのだろう。
 
本題の3に入る やっとのおもいでパーツもそろいいざ組み立て配線
一番楽しい時間であるビスでの締め付けやハンダ付け作業時間がたつのもつい忘れてしまう。
かくして私の並三ラジオついに完成観るからにカッコイイ、てしおにかけて作った我が愛器はたして鳴ってくれるのか、電源ON真空管ほのかに灯る緊張がはしる、ガーガー・ピーピーまず選局なったなったと独りで悦に入る 他局はどうかゴチャマゼの感、放送の分離が悪く聞くにしのびないのである、原因は家のすぐ近くにあったROK送信所からだった。

RBC、KSBK、FEN どこを廻してもROKがうしろのほうから聞こえてくるのだった。
並三(三球)精能はそんなものだと諦め、ならば球を増やし5級にしようではないかと奮い立つ。
 またしても頭の中は五級ラジオのことばかりだった・・・・・
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プロフィール
tukazen
tukazen
 H1年からスタートしたヤマハ大人の音楽レッスン講師をH26年に定年退職。    

退職に伴い自己のドラム教室ZEN-Aスタジオを開設 ライブ活動とドラムレッスンで現在に至る。