高校時代
回想 浪人時代2
今日の我がパソコン調子よさそう。
まだまだドラムとはほどとおい記事になるがドラムにもっていくためのまえおき賭して書きたい。
はなしはまた浪人時代(1964年)に遡る、私は元来物に超興味があり時計やラジオ等中がどんななのか見たくて見たくてチョットした隙間があればよく中を覗いたものだ。 そのころ那覇の予備校通う毎日でバス賃をきりつめ(たまには親の財布)ラジオを組むための部品買いに熱中、授業そlちのけで考えるのはそのことばかり。
浮島通りにひっそりたたずむ土井ラジオ店とゆうパーツ専門店がありその店のショウケースを通り越しによく眺めていた頃を想いだす。
或る日の帰りその店に寄る(部品を買うため)
「抵抗下さい」
「何オーム?」と聞かれ
「1Mオーム(1ミリオーム)と答えた
「そんな物はない」、と一括、君もっと勉強して来い言われる始末、ドギマギしている私の手にしたメモを見て、これはメガオームと読むんだよ教えてくれたんけど、それからがたいへん
「ところで君何を作ろうとしてるの?」
「ラジオ」
「どんなラジオ?」 私は通販で買った初歩の」ラジオの製作とゆう古ぼけた本がありその中の記事から作る予定だった。
知識のなさを見抜かれるがままに「君物事には順序とゆうものがある、私の言う事きけば必ず成功するから」と 最初にこれを買いなさい手渡されたのがトリオ(後のケンウッド)並3コイルと書かれたものだった。
早速持ち帰り開封説明書見ると実体配線図がついてて、これなら私にもできると確信、塾の行き帰り1日中考えることは部品手にしたこばかり、早くお金タマランカナーとゆう思いだった。
土井ラジオ店マスターは電気科のクラスのあいだでもいい意味で話題になる方だった。
ご主人がいまでも、説教してから笑顔なるお顔が浮かびます。
団塊世代の私と同一趣味の方なら土井ラジオ店にお世話になってるとおもいます。
ご主人がいまでも、説教してから笑顔なるお顔が浮かびます。
団塊世代の私と同一趣味の方なら土井ラジオ店にお世話になってるとおもいます。
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。