回想
回想1 浪人時代
開設2~10日目
さて何を書こうか思案 なかなかひらめかないものである ドラムとは関係ないが かってないメダルtラッシュのリオ五輪にしようか 半世
紀前1964年の東京五輪にしようか、リオ五輪は大勢のブロガーの皆さんが素晴らしい文章でまとめてるとおもうので50年前に遡ってみるこ
とにする。
ワイド画面でオリンピック見ようとコマーシャルで流れた時代で(当時のテレビの主流は四隅が丸みを帯びた14型)あった。ちなみに本土で
はオリンピックをカラーで見ようだった。
そのころの沖縄はマイクロ回線の実現によりやっと本土と同時に放送が見れるようになったころである。(ちなみに我が家のテ
レビはもちろん14インチでワイドとはかなりかけ離れたものだった)。本土との格差かなりあったものだと今さらながら感じる。
その年は高校進学にスベリ浪人中の身で暇だったせいあって朝から競技中継にくぎずけ、思い起こせば次々と名場面次々うかんでくる。
体操日本、水泳日本、お家芸柔道(東京大会より種目に加わる)と言われていた時代であった。
日の丸を背負った選手達の活躍に感動しきり、 陸上トラック男子100M、女子80Mハードル(依田郁子5位入賞)と、フィールドの死闘9時間にも及んだ棒高跳び 体操個人総合遠藤幸雄金メダル 柔道無差別級で神永五段銀メダルがアントン・ヘーシンク押さえ込まれじつに悔しいおもいもした、鬼の大松と言われた大松博文監督率いる金メダルに輝いた女子バレー回転レシーブ、に一喜一憂したものであ
最も忘れられないのが男子マラソン2位で国立競技場入ってきた円谷幸吉ゴール前の残り一周ヒートーりーとのレッドヒート(当時400トラック1周してゴール)に手に汗
握る感動を今も鮮明に憶えている、オリンlピックマラソンで初めての日の丸を掲げた。 次のメキシコは金だ日本中が沸いた しかし大会前に
自ら 命・・・・
ピンク・ピクルスの一人の道の詩の中に・・・誰のために走るのか・・・もう走れないこれ以上は走れない を耳にしたとき日の丸を背おった
アスリートの悲哀を 感じ泣かされた。
東京大会ではないが
ある五輪大会である日本の代表選手に日本のある記者が「メダルの手応えは」? 「アナタガヤッテミタラ」 と一蹴 全く思いがけないその
光景にj重圧に耐えながら出番を待つ選手の言い知れぬ緊張感を感じたものでである。
ナイヌブンガンバレーシムサと応援しよう そうしてるつもりだがついつい憂いが・・・・・・ 反省 勝敗にかかわらず応援は最後ま
で労をねぎらつつ。
さて何を書こうか思案 なかなかひらめかないものである ドラムとは関係ないが かってないメダルtラッシュのリオ五輪にしようか 半世
紀前1964年の東京五輪にしようか、リオ五輪は大勢のブロガーの皆さんが素晴らしい文章でまとめてるとおもうので50年前に遡ってみるこ
とにする。
ワイド画面でオリンピック見ようとコマーシャルで流れた時代で(当時のテレビの主流は四隅が丸みを帯びた14型)あった。ちなみに本土で
はオリンピックをカラーで見ようだった。
そのころの沖縄はマイクロ回線の実現によりやっと本土と同時に放送が見れるようになったころである。(ちなみに我が家のテ
レビはもちろん14インチでワイドとはかなりかけ離れたものだった)。本土との格差かなりあったものだと今さらながら感じる。
その年は高校進学にスベリ浪人中の身で暇だったせいあって朝から競技中継にくぎずけ、思い起こせば次々と名場面次々うかんでくる。
体操日本、水泳日本、お家芸柔道(東京大会より種目に加わる)と言われていた時代であった。
日の丸を背負った選手達の活躍に感動しきり、 陸上トラック男子100M、女子80Mハードル(依田郁子5位入賞)と、フィールドの死闘9時間にも及んだ棒高跳び 体操個人総合遠藤幸雄金メダル 柔道無差別級で神永五段銀メダルがアントン・ヘーシンク押さえ込まれじつに悔しいおもいもした、鬼の大松と言われた大松博文監督率いる金メダルに輝いた女子バレー回転レシーブ、に一喜一憂したものであ
最も忘れられないのが男子マラソン2位で国立競技場入ってきた円谷幸吉ゴール前の残り一周ヒートーりーとのレッドヒート(当時400トラック1周してゴール)に手に汗
握る感動を今も鮮明に憶えている、オリンlピックマラソンで初めての日の丸を掲げた。 次のメキシコは金だ日本中が沸いた しかし大会前に
自ら 命・・・・
ピンク・ピクルスの一人の道の詩の中に・・・誰のために走るのか・・・もう走れないこれ以上は走れない を耳にしたとき日の丸を背おった
アスリートの悲哀を 感じ泣かされた。
東京大会ではないが
ある五輪大会である日本の代表選手に日本のある記者が「メダルの手応えは」? 「アナタガヤッテミタラ」 と一蹴 全く思いがけないその
光景にj重圧に耐えながら出番を待つ選手の言い知れぬ緊張感を感じたものでである。
ナイヌブンガンバレーシムサと応援しよう そうしてるつもりだがついつい憂いが・・・・・・ 反省 勝敗にかかわらず応援は最後ま
で労をねぎらつつ。
円谷選手は父君に男は後ろを振り向くなと教えられ後続のヒートりー選手にきずかなかったのではないかいう言い伝えが・・・・もしかして銀メダルがとれたかも。